久保田先生 追悼  〔横山重〕

●短歌雑誌『あかね』の若宮貞次先生から『あかね』第27巻 第6号と共に貴重な御教示を賜った。それは、大正15年(1926)3月27日、島木赤彦が胃癌で他界した折の、横山重先生の追悼の言葉(『赤彦全集』第8巻所収)である。私は、早速、拝読して、お二人の師弟関係の抜き差しならぬ深さに衝撃を受けた。

●横山先生に、私が、御指導を賜るようになったのは、はるか、後年のことで、お二人の関係も、かなり昇華されていたことがわかった。横山先生は、その追悼の言葉の中で、次のように述べておられる。

「この機会に言はして貰ふけれども、私は先生には十七の歳からお世話になつた。本当に親身も及ばぬお世話になつた。学校もみな先生に保証人になつていただいた。結婚も媒酌人と保証人になつていただいた。私は間違ひやすい性格を持つてゐて、もし先生のお世話になつてゐなかつたら、随分間違つてゐたかもしれないと思つてゐる。それを今日まで仕立てて呉れたのは本当に先生のお蔭である。私は野心もあるし、勉強することも、働くこともいやではない。もう二三年先生が生きてゐて呉れたなら、きつと先生を喜ばせることが出来たと思ふ。だから、先生に死なれたのは残念でならない。張合がなくなつてしまつた。・・・」

●横山先生と久保田先生・島木赤彦先生の、深い深い、師弟愛を、今日、初めて知ることができた。若宮先生、有難うございます。

横山重先生。昭和50年、『江戸雀』の頃、伊東の自宅前で。