『可笑記』 → 『春の日』

●このところ、やる事が逼迫・山積していて、いささか疲労気味である。研究発表が迫っているが、資料を準備していて、木版本の覆刻版で躓いてしまった。自分では解決していたと思っていたが、整理してみると、おやおや、という結果になった。

●私は、昭和43年(1968)春の日本近世文学会で、仮名草子可笑記』の諸本について口頭発表した。問題は、寛永19年版の11行本と12行本の関係である。この両者は、文章は言うまでも無く、文字も版面も全く同様である。ただ、一方が1行多い12行である。さて、いずれが先でいずれが後の出版か、それが問題になった。すったもんだした挙句、発表要旨では、12行本→11行本として提出しておいた。しかし、その後、よくよく調べ、考えて、発表当日に11行本→12行本に変更した。発表後、田中伸氏から反論が出て、時間内では決着せず、後日、お二人でどうぞ、ということになった。

●実は、その後、12行本は11行本の覆刻版ではないか、1行多いので、純粋に覆刻版ではないが、それに準ずる版ではないかと思った。当時、覆刻版は元版の本を解体して版木に貼って彫るとされていた。私は、そうではなくて、元の本を薄い紙で敷き写ししたものを版下にしたのではないか、と推測しておいた。

●心から尊敬する木村三四吾先生は、昭和46年に、芭蕉七部集の第2集、貞享3年(1686)刊の『春の日』の初版本考を発表され、寺田版2本の異同に着目され、1つは覆刻本であるとし、その版下は、透写しであるとされた。このあたりから、覆刻版の版下は2種類あるという考えが普及し出したように思う。

●木村先生には、天理図書館で、金子和正先生に紹介して頂き、以後は、大変な御厚情にあずかった。先生の著作物のほとんどは頂いている。本の見方の極致をお教え下さったのも、木村先生である。改めて、心から感謝申し上げる。

■家は奈良興福尼寺の前に在り

■『春の日』寺田版 初版

■初版と覆刻版 の異同 木村先生の論文より