最後のトンネル ?

●教え子から、2つ目の悲しい知らせが届いた。お導き頂いていた先生が、48歳の若さで急逝されたという。肺ガンだという。現職の大学教授である。研究と指導に全力投球、そんな時、病魔が襲った。まさか、肺ガンとは思わない、風邪だろう、医師でも、そのように診断しかねない。先生は、これからの研究活動の計画も立て、構想も練っておられたと思う。人間のはかなさを、つくづく思う。
心から、御冥福をお祈り申し上げます。

●私は今、如儡子百人一首注釈の『砕玉抄』の校正を進めている。この主題に着手したのは、15年前である。歌人も100人、歌も100首。これらに詳細な注釈が付けられている。何をやるにも100回繰り返す。ウンザリするような対象である。如儡子が心血を注いで書き上げた、この大きな山、私は、何回このトンネルを潜るのであろうか。

●それにしても、11番(砕玉抄では7番)の参議▲(たかむら)の歌は、どうしたのだろう。
   わだの原こぎ出てゆくやそしまや 人にはつげよあまのつりふね
とある。如儡子は、このような歌をどのテキストから得たのであろうか。彼は、これに注記して、「此哥はかさねより書用へからす。此上書にある本哥を用へし」「此哥、ある人の本にかからんあるを、そのままかきつ付あやまれり。信用すへきに非ず。和田の原八十嶋かけて漕出ぬと人には告よ蜑の釣舟」としている。

●この条は、この列帖装の古写本の位置付けを考える上で、貴重なヒントを与えてくれる。私は、いくつかのトンネルを潜っている間に、得難い写本に出会えた。

■『砕玉抄』第7番歌、参議たかむらの条