田村寛三先生を悼む

●今日、長井市の齋藤豪盛氏から電話があった。酒田の田村寛三先生が御他界なされたという。1月2日午後10時、くも膜下出血、81歳だと言われる。

 田村寛三先生の御逝去を心からお悔やみ申し上げます
●先生は、12月3日の『荘内日報』に「川北奉行齋藤筑後守広盛の事績」を執筆して下さった。それを私は12月25日に、齋藤豪盛氏を通して拝見した。酒田市郷土史研究の第一人者による、齋藤広盛に関する論説である。余人では書くことの出来ない内容である。これを「近世初期文芸研究会」のHPにアップしたいと先生にお願いした。先生は12月30日の御返事で、どうぞ、と許可して下さった。そのお便りの終りで、
「・・・先生との、めぐりあいは、深い因縁のように思われます。そんなに、あわないのに、なつかしい人に思えます。よいお年をおとり下さい。合掌」
と書いて下さった。その3日後に、先生は御他界なされた。

●田村先生に、初めてお会いしたのは、昭和63年のことである。当時、先生は酒田市史編纂室長をされていた。以後、何度も何度も酒田を訪れて、調査を重ねたが、田村先生には、その都度、御指導を賜った。先生のお導きがなければ、如儡子の伝記研究を進めることは出来なかった。この学恩を、どのように謝すればよいのか。伝記を完成させることなのか・・・。

★田村先生の許可を頂いて、「川北奉行齋藤筑後守広盛の事績」の全文を「近世初期文芸研究会」のサイトに全文をアップした。

http://www.ksskbg.com/nyorai/nyorai.html

■一条八幡神社調査の折の田村先生、右端

■齋藤広盛自筆と推測される文書

■吹浦大物忌神社調査の折の田村先生