時寛永巳之仲冬下幹

●時は寛永巳の年11月下旬、如儡子百人一首注釈書『砕玉抄』の脱稿した年月である。巳年は寛永18年(1641)である。著者・斎藤親盛39歳の頃、この膨大な注釈書は江戸で書かれた。著者が脱稿したのは、陰暦11月下旬、現在の12月25日頃。

●今日、猛暑の8月8日、私はこの注釈書の本文の原稿を脱稿した。400字詰原稿用紙で455枚。これで、1つ山を越えた思いがする。総ルビに近い本文の原稿には難渋した。しかし、この労作を40歳そこそこで執筆した著者の力量には、足元にも及ばない。このように優れた、歴史上の人物に廻り合えた私はラッキーとしか、言い様がない。

●先日、笠間先生にお会いして、恩師・重友先生も、長澤先生も、78歳でした。私に残されたのは、あと3年です、と申し上げたら、90歳の先生が、顔色も良いし、まだまだ大丈夫です、頑張りなさい、と慰めてくれた。さて、結果はいかに。
杜撰な計画のゆえに、厳しい定年後の日々となった。
如儡子の『砕玉抄