今年も ゴムの木 は健在

●昭和47年(1972)4月、私達は、調布の国領町から、千葉市検見川町に転居した。『可笑記大成』の原稿や、近世文学資料類従の『浮世ばなし』の調査に取り組んでいた頃である。総武線新検見川駅の近くの公団の市街地住宅が高倍率の抽選に当った。2DKであったが、妻は私に書斎を与えてくれた。確か4階だったと思うが、本を読んでいたら、おばさんが、小さな鉢植えのゴムなどを売りに来た。2鉢買って、机の上に並べておいた。

●その後、昭和57年に、所沢に転居したが、このゴムも持って来た。千葉時代に長男が生れた。その時、市役所から市の木〔夾竹桃〕の小さな苗を頂いた。温かい千葉ではスクスク成長したが、所沢では寒くて、1年と持たなかった。ゴムは熱帯性ゆえ、冬は書斎で育てて、40年後の現在も健在である。私よりも長生きするかも知れない。とにかく、長い間、共に生きてきたので、植物ながら、褒めてやりたいように思う。

■現在の総武線 新検見川駅
左下の市街地住宅にお世話になっていた。

■右上の赤い屋根が新検見川駅 左下が市街地住宅

千葉時代の書斎の机。左に小さなゴムの木
 右の白い駕籠に、妻がお菓子を入れておいてくれた。

■40年後の現在のゴムの木