棟札の記載事項

●このところ、多忙で、その上、梅雨のさなかで、毎日雨天。そんな訳で全く散歩に出ていない。散歩のコースも忘れそうである。18日か19日か、梅雨明け宣言。今度は、連日の猛暑。毎日、我が書斎は32度以上、クーラーのフル回転で、何とか凌いでいる。これでは、8月の人間ドックが思いやられる。少し、心を入れ替えて、散歩もして、アブロケットもやらなければならないと思う。

●このところ、慶長17年(1612)に作られた、吹浦大物忌神社の棟札の記載事項を廻って、毎日、毎日、思案をめぐらしている。仮名草子作者、斎藤親盛の父親は斎藤筑後守と言って、山形酒田の川北三奉行の1人で、最上川北部一帯の統治に関与していた。従って農民が年貢を納めた場合に、それを確認して、領収書ともいうべき年貢皆済状を発行する役目もしていた。この年貢皆済状の場合、本文は部下に書かせても、署名・花押・認印は、斎藤筑後自身が書いたり押したりするので、信頼はできる。

●代官や奉行になると、神社などを建立する時、領主に代わって、様々な儀式に参列もしていた。神社の上棟式や竣工式などには、棟札を作って、小屋などの柱に打ち付けて、その建物の上棟の年月日や施主・大工など関係者を後世に伝えている。慶長17年の吹浦大物忌神社の棟札に、斎藤筑後守盛広の名前が書かれている。果たして、この棟札は誰が書いたのか。書いたものを斎藤筑後守自身は確認しているのか。この辺りが、問題点で、この猛暑の中で考えるには、チトしんどいのである。

■■蕨岡大物忌神社棟札