重友先生の思い出

重友先生と大洗海岸
                         
                           
「あらッ!」
 お嬢さんの声に私が振り向いた時、打ち寄せる波の先端はすでに重友先生の両足に達していた。
 早速、新聞紙を砂浜にひろげ、そこに座わって頂いた。お嬢さんと私は、海水の十分に滲みこんだ靴から、水分と細かい砂をていね
いに拭い取った。
「恐縮、恐縮」
 そう仰って両足を挙げておられる先生。平素、万事に慎重で敏捷な先生の、この思わぬ失策に、私は内心、いささかはしゃぎ気味であった。
「わざわざこんなとこ迄来て、足を濡らすとはねえ君、これこそ大洗海岸だね」
 先生のこのお言葉に私は許しを得たように吹き出してしまった。お嬢さんも、そして先生も一緒になって笑った。先生の黒縁の眼鏡は、やわらかい光を反射し、右頬の黒子は快活に勣いた。

 昭和四十一年二月、水戸へ桜山文庫の鹿島則幸氏をおたずねして『春雨物語』など八点の御蔵書を拝借しての帰りの出来事である。大切な仕事を一つ済ませて、ほっとされた直後のこの失策。砂浜には私達三つの人影以外に動くものは無かった。そんな中で、先生は大自然の美しさにみとれて、思わず我を忘れておられたのかも知れない。

 大きく湾曲した海岸を、数条の白線が走っている。時に広く、細く、点在する岩礁黒点に跡切られながら……。巨岩を洗う怒涛も、この路上からは緩やかな自然の息づきのように映る。

 この時の、重友先生の温かい表情をたたえた笑顔と、この景色は印象深く焼きついていて忘れられない。
 また、帰りの車中、向かいの座席で撮らせて頂いたお写真は、隣席のお嬢さんにそそがれる眼差しが、何ともやさしく、それが私にまではね返ってくる。

 私は中学時代からのカメラ狂で、先生のお写真も随分撮らせて頂いたが、初めはなかなか良いものが出来なかった。しかし、いつ頃からか、先生の自然なお姿・表情が写せるようになった。多分、先生が私の特つカメラを意識されなくなったからだと思う。先生の頌寿記念論文集の口絵に、私の撮った写真を使って下さった。これは、私の一つの誇りである。
         (『文学研究』第50号、昭和54年12月発行、より採録

■■重友毅先生 昭和41年2月24日撮影

■『日本文学の研究――重友毅博士頌寿記念論文集――』(昭和49年7月15日、文理書院発行)口絵