懐かしくも不思議な人間関係

●私は工学部建築科から文学部日本文学科へ転進。七沢さんは建築一筋の人生を歩み、こちらは文学の世界を彷徨った。しかし、私は、〔佐藤秀〕が大好きで、縁が切れた後も、東京の〔佐藤秀〕の工事現場があれば、立ち寄って、監督さんに挨拶をしていた。どの監督さんも温かく接して下さった。

●30年後の、昭和63年、私は仮名草子作者・斎藤親盛(如儡子)の伝記研究に着手した。福島の二本松・本宮・三春・郡山や、山形の酒田・鶴岡・羽黒・藤島・長井の調査を進めた。斎藤家の第13代・豪盛氏にも出合った。ところが、斎藤氏も七沢氏と同じ米沢高校の卒業で、建築と機械の違いはあったが、2人とも同級生で、斎藤氏は七沢氏をよく知っていた。なんと奇縁、私は早速、〔佐藤秀〕の本社に問合せ、七沢さんと連絡をとり、3人で合いたいと、電話で話し合った。お2人とも賛成であったが、お互いに、働き盛りということもあり、山形・東京という条件も重なり、チャンスをうかがいながらも、時間だけが経過してしまった。

●数年前、七沢さんは、ガンのため他界されてしまった。私の青春時代の懐かしい友人と、ライフワークの斎藤親盛(如儡子)の御子孫と、3人で酒酌み交わし、往時を語り合うことは、ついに実現出来なかった。先日、七沢さんの奥さんから電話があったのは、こんな経緯によるものである。