武田信繁 → 嘉島典俊

●今日の散歩は、少し遠出して航空公園へ出掛けた。日本航空発祥の記念公園である。国産のYS11も原物が野外展示されている。

●帰りに、例の喫茶店「豆うさぎ」で美味しいコーヒーを頂く。店内の豆ギャラリーで「嘉島典俊展」をしていたので覘いてみたら、書あり、カレンダーあり、多彩な芸術的な小世界があった。著書も出している。「芸道三十周年・感謝」の手拭もある。写真を見たら、どこかで見たような美男子、NHK大河ドラマ風林火山』で、武田信玄の弟・信繁を演じた役者だった。思い出しました。なかなか好演で、記憶に残る俳優でした。『嘉島の日めくり』の著者略歴によると、1973年うまれ、11歳で“チビ玉白龍光祥”の芸名でデビューし、2004年には国際芸術文化賞を受賞している。何か所沢に関係があり、店にも時折見えるとマスターは言う。

武田信繁は、信虎の次男、信玄の弟、大永5年(1525)出生、母は大井夫人。信玄が父・信虎を追放した後は、兄の副将として忠節を尽くした。信繁は教養豊かな武将であり、『武田信繁家訓』とも言うべき99条の家訓を子の信豊に与えている。それが『甲陽軍鑑』の第2品に伝えられている。その第1条には、
「屋形様に対し奉り、尽未来、逆意あるべからざる事」と記して、『論語』を引用している。

●11歳でマスコミデビューして、以後、役者活動以外にも多彩な活動を続ける嘉島典俊。典厩寺所蔵の信繁像は、美男子である。嘉島典俊大河ドラマ風林火山』の信繁役はピタリ適役だった。そんな感想をもった。

■■喫茶店「豆うさぎ」 これは夏の頃に撮ったもの。

■■嘉島典俊




■■嘉島典俊武田信繁 NHK『風林火山』より



■■激闘 川中島の合戦の前、信玄と信繁は主従を離れ、
兄弟として盃を交わす。信繁はこの戦で戦死する。



■■武田信繁像 典厩寺所蔵 

■■武田信繁家訓 『甲陽軍鑑