点と点、 線と線、 + 時

●人間、この世に生を享けて、つかの間の活躍をして、やがて黄泉の世界へ。教え子の友人は、茶道を修業する好青年。過日、まずい事になりました、とメールを送って消息を絶つ。実は膵臓ガンでガンセンターへ入院。宣告から1ヶ月足らずで他界された。30代の若さであった。人間の存在など、このように、儚いものである。明日は我が身と思えば、おのずから、遣るべきことは決まるだろう。

●今、仮名草子作者・如儡子の伝記をまとめている。如儡子の父・斎藤広盛は、最上家に仕えた武将、川北奉行の1人として近世初期に活躍した。大河ドラマ天地人』の頃である。東北の関ヶ原の合戦とも言われる長谷堂の戦の時、直江山城守兼続の許へ、兵300を引き連れて馳せ参じている。最上川の北部を統括する川北奉行を務めていた痕跡とは、どこに遺されているか。

封建制度の時代、農民は年貢を納めていた。その記録に「年貢皆済状」というものがある。合計百六十六石五斗九升、確かに納めました、慶長八年極月十七日、山口村 五郎左衛門殿 斎藤筑後守、といった文書。この1枚の文書から、1603年12月17日に、出羽国庄内の山口村に斎藤筑後守広盛が居た、という事が分かる。

●私が、この文書に出合ったのは、昭和63年8月18日、鶴岡市立図書館であった。確実な点を発見して狂喜した。以後、毎年のように酒田方面へ出かけて、斎藤筑後の「年貢皆済状」を調査した。図書館にもあるが、庄屋だった御子孫の家にも伝存する。合計32点を調べる事ができた。それを、今、整理し、集計している。

●点と点を結び、線と線を掛ければ、地域が確定するだろう。それに時を重ねれば、斎藤筑後の生きていた実体が浮かび上がる。20年前に浮かんだアイデアである。その父の子であるから、この事実は看過できないだろう。

■■斎藤筑後 の署名と黒印がある 年貢皆済状

■■酒田周辺の当時の村 亀ヶ崎城 が酒田
赤色が、斎藤筑後の関係した村々

■■亀ヶ崎城の下にあるのが最上川