木村盛康先生との出合い

●木村盛康先生と初めてお会いしたのは、確か平成7年11月だった。先生の個展が渋谷のデパートで開催された時だと思う。如儡子の第13代目の御子孫、斎藤豪盛氏の紹介であった。だから、もう15年近く前である。

●斎藤氏は、日本酒に関しては、非常に造詣が深く、高校生の頃から、友人の酒蔵に出入りしていたという。やがて、専用の仕込みの酒樽を所有し、自らブレンドした「深山神水」という銘酒を造って、毎年新酒を発表している。発表会は東京で開かれ、会員のみが参加して、批評をしながら試飲・痛飲して楽しんでいる。その会員は限定で、斎藤氏が認めた人のみで、それぞれに番号入りの盃が渡されている。当然、その盃を持参しないと出席できない。私は、1度だけ、オブザーバーとして末席に加わらせてもらった。

●斎藤氏は、はるか以前、デパートの展覧会で木村盛康先生の作品に魅せられ、京都・清水の工房を訪れて、この盃の制作をお願いしたとのことである。木村先生も快諾された由で、以来、お2人の仲は、今日まで続いている。私がお会いした頃、すでに50名くらいの会員だったので、木村先生作成の盃を会員証にしたのは、かなり前からであろう。

●実は、木村先生は私と同じ、1935年のお生まれである。初対面の頃から、折々の作品展を拝見しているが、先生の芸術的意欲は燃えるが如くで、誠文堂新光社の雑誌『陶工房』でも特集していたが、私と同年とはとても思えない。今回の[天目]展の図録を拝見しても、一つ一つの作品から、その新しい境地が、伝わってくる。芸術家の精進の姿に、心からの敬意を捧げたい。

●斎藤豪盛氏は、私が日本酒を飲めない事を知っていて、この木村先生作成の会員証を交付してくれない。

■■これは、木村先生から特別に御恵与賜った「天目宙 盃」である。