我が 原小学校の伝統

●昨日は、久し振りに新宿へ出て、東口のアサヒビールのキッキリッキ新宿で、小学校の友と、今年の末広会の打合せをした。甲府工業の望月君と甲府商業の斉藤君と身延高校の私の3人。望月君が案内状の文章を作り、斉藤君が広い業界へのカオを利かせてホテルの交渉をしてくれた。私は、その原稿に従って案内状の作成を担当する。いいコンビだと思う。

●望月君は名文の中で、
「○日本人 初のノーベル受賞者 湯川秀樹氏は
  一日生きることは 一歩進むことであれ !!
 ○女性として 国連難民高等弁務官を長く勤めあげた 緒方貞子氏は
  熱い心と 冷たい頭をもて 自分で決めてこそ 未来がある
  必ず道は開ける 希望は消えない !!
これらは、常に前向きの心がけが大切だよ・・・と教えています。自分達も望みを大きく、長生きしましょう。」
と書いている。我が友を誇りに思う。

●当日配布する名簿の最終頁には「原小学校沿革略史」をいれることにした。
○1896年(明治29年) 飯富・八日市場両小学校を合併して、伊沼村原の地 に、原尋常小学校として開校。
○1900年(明治33年)義務教育4年制になる。児童数279名。
○1920年(大正9年) 校歌「原に生いたつ若草は」生れる。
○1944年(昭和19年) わら草履、どんぐり出荷。供出薪運搬。
○1945年(昭和20年) 全校行軍(1月) 8月15日、太平洋戦争終結
○1946年(昭和21年) 1月1日、天皇人間宣言
○1948年(昭和23年) 末広会の6年生、3月卒業、男子35名、女子26
 名、合計61名。

●61名の内、15名の友がすでに他界された。市川君・天野さん・邦彦君・千穂子さん・照一君・一君・・・。皆々、懐かしく思い出される。ああー、人生よ。

■■原小学校 平成9年(1997年)航空写真

■■正面玄関