『篤姫』 から 『天地人』 へ

●NHKの大河ドラマは、幕末維新の『篤姫』が終り、来年は直江山城守・兼続を主人公にした『天地人』である。『天地人』の舞台となる、越後春日山会津若松、山形・米沢・長井・鶴岡・酒田・・・は大変な盛り上がりだという。

●2007年の11月、私は『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』という小著を文春新書から出した。井関隆子という幕末の旗本の主婦の遺した日記を分かりやすく書いたものであるが、この日記には、江戸城大奥のことが詳細に書き留められている。これが、大奥をテーマにした大河ドラマ篤姫』とも関連して、結構好評で6刷まで増刷され、大型書店では6ヶ月以上新書コーナーの平台に並べられた。

●この日記の著者の子の親経が江戸城大奥の御広敷の役人の責任者で、11代将軍・家斉の正室・広大院の係でもあり、大奥の情報が詳細に、具体的に伝えられているという点が貴重で、他の記録には無い事も多い。また、孫の親賢は、時代は下るが、篤姫和宮の係になっている。こんなところが、多くの読者の興味を惹いたのだと思う。30年も前に発見した幕末女性の日記が、大河ドラマと偶然に出会った訳である。私は、『篤姫』を当て込んで、新書を書いたのではない。前々から、編集者に依頼されていて、たまたま、書き上がったに過ぎない。

●さて、来年の大河ドラマ天地人』、実は、これも私の長年の研究と関係が深い。仮名草子の『可笑記』(かしょうき)は、随筆風の作品である。作者は如儡子(にょらいし)、これはペンネームで、本名は斎藤親盛(さいとう ちかもり)。山形の酒田の出身。最上藩57万石の最上家親に仕えた。主君から「家」の一字を賜って親盛と名乗った。幼名は清三郎(せいざぶろう)である。

●実は、この作者の父・斎藤盛広は、慶長5年(1600)の長谷堂合戦で、直江兼続と戦っている。従って『可笑記』にも、この近世初期の合戦のことなどが書かれている。作者の斎藤親盛は、非常に批判精神の強い人物で、そこに私は興味を持って、この作品を卒論に選択したのであるが、作品を読むほどに、また、作者を調査すれば、するほど、この人物は偉大で魅力的な武士であり、浪人である。実は、最上57万石は、元和8年(1622)に改易となり、1万石に減らされた。実質的に最上家は取り潰された。この時、如儡子は父・盛親と共に浪人となる。

●庄内の最上家を辞した後は、祖父の出た越後に行くが、やがて江戸へ出る。妻子を抱えての浪人生活は、大変だったと思う。現在、世界不況のあおりに合って、日本の企業は、契約社員期間労働者の解雇を連発して経営の安全を守ろうとしている。如儡子の時代は、徳川幕府が、他藩の勢力削減を意図として、改易・転封を繰り出した。目的は現在と江戸時代では、少々異なるが、浪人・失業者が激増して、社会不安が訪れる、という意味では、よく似た社会状況である。