教え子の思い遣り

●今日、思いがけない、教え子の小林さんから手紙が届いた。先日、新聞でドナルド・キーン氏の記事を読んで、昭和女子大学の学生時代を思い出したという。短大の国文科で、私の女流日記文学の講義・講読を受講した頃が懐かしいとも書いてくれた。

昭和女子大学短期大学部の国文科では、学科長の原田先生も、教務委員の大塚先生も、この、余り知られていない『井関隆子日記』を教材に採り上げることを許可して下さった。私は、自分では、文学的にも価値のある作品だとは思っていたが、それでも、未だ評価の定まらない作品を、しかも、大学院でもなく、学部でもない、短大の学生に教えて宜しいのか、十分に留意しながら、講義した。

●皆さん、この日記は、新しく発見された作品で、十分に評価も定まっていません。だから、皆さんは、私の言う事を鵜呑みにせず、本当に価値のある作品か、単なる歴史の資料か、御自分で判断して評価して下さい。10年後、20年後、全く価値のない日記と評価されたら、その時は、この日記を採り上げた私を許して下さい。

●そんな事を、折々、言いながら、講義し、講読していた。大学院では、堂々と、この作品の価値を評価するように、院生に伝えて、他の日記文学と比較せよ、と課題を出した。

●今日、手紙をくれた、教え子は、当時、私が教室で配布した教材のプリントを、今も大切に保存している、とも書いてきてくれた。有難いことであり、今、振り返れば、この作品も次第に評価されてきていて、実は、ホッとしている。

●その小林さんは、私のブログも時々見ている由で、少しは、御自分の故郷の身延も大切にして下さいと、何年か前に、名木の桜の時期に訪れたという、身延山久遠寺の写真を同封してくれた。私には、勿体ないような、教え子である。

身延山久遠寺の桜 



■少しは、奥さんを大切にして、と夫婦箸もくれた。謝々。