Book Japan 2008年の100冊

●Book Japan 2008年の100冊 【本の目利きたちによるこだわりコレクション】が、2008年11月25日〜12月31日 ジュンク堂書店・新宿店で開催されていた事を、今日知った。この100冊の中に、拙著『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』も入っていたようだ。
全文引用で恐縮であるが、紹介させてもらう。
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会って、一杯やりたくなる、幕末の女性。reviewer/小玉 節郎

もう幕末といっていい時期を生きた、旗本の妻であり、息子・孫である旗本の母・祖母であった「井関隆子」という女性が残した日記を紹介する新書である。
古い時代に生きた人の日記を読むというのは、その時代の公的歴史に出てこない「思いもかけない事実」と、それを書いた人のその時代の政府や事件に対しての本音が読めるということである。

井関隆子は、一度離婚したあと旗本に嫁いだ。夫は納戸組頭(将軍の手許にある金銀や衣服・調度のなどを管理する仕事の責任者)で、身分は非常に高い。政府高官である。その仕事柄もあって、江戸城のすぐ近くの九段下に屋敷を与えられていた。現在でいえば「東京のここである」と地図が載っている。
夫には先立たれてしまうのだが、息子が御広敷御用人(大奥との連絡、事務処理にあたる役職の責任者)になり、十一代将軍徳川家斉正室・広大院の掛りを長く勤めることになる。この息子が親孝行で、日々帰宅すると母親にその日の出来事を聞かせてくれるので、江戸城大奥の新しい情報が隆子の耳に入る。この親子関係が温かく知的であって、日常的に会話が盛んで、その興味深いところを日記に書き残したというわけだ。
隆子の孫も同じように幕府に重く用いられ、やはり祖母に江戸城内の様々な様子を話してくれる。そうした日常から、「将軍、正室」の側近というのは、こういう生活をしているものなのか、と納得するかなりの贅沢さもわかる。何かというと、将軍や側室からの贈り物がドーンと与えられる。ははぁ、こういうものかとよくわかる。

彼女の「身分と情況」は上記したようなものだが、二度目の結婚をする以前、本人が育った環境もあって学問と洗練された教養を身につけ、漢籍漢詩に通じ、日本や中国の古典の素養も豊富に持っていた。また日記のみならず創作をものし、詩歌にも巧みであった。
そんなに頭が良くて、高い身分となると「お高くとまっている」賢夫人と思ってしまいがちだが、「賢く」はあっても、物事に対する理解度が深く、また非常に話のわかる女性だったのである。

今日的な感覚で徳川の政治を眺め、天保の改革を批判し、あるいは当時の学者の不勉強をなじり、科学的知識にも興味をもって言い及んでいる。
私が何より喜んだのは、それほど知的レベルが高く、身分的にも非常に高い女性が「なんともお酒が好きで、一杯やりながら人と話す、軽く飲みながら息子から江戸城の様子を聞くのが」大好きだった、というところ。自分の寝室に入ってみると何か置いてあることに気づいて、一瞬機嫌を損ねたが、それが孝行息子が用意してくれた酒だとわかって、たっぷり寝酒をやったというような人なのだ。
お客を迎え、親しい人を迎えると「さぁさぁ、座って、まぁ一杯やりましょう」というような人であったらしい。そういう洒脱な部分も日記に残っている。
日記は、天保11年(1840)の1月から15年(1844)10月までなのだが、将軍が亡くなり、水野忠邦による天保の改革があり、その水野が失脚する。そうしたことについて評論があり、息子や孫たちとの日常が詳しくわかる。幕末の、旗本暮らしぶり、それも上澄みといっていいだろう上級旗本の生活が理解できる。

物事を論理的に考える習慣を身につけていることは、驚嘆すべきであり「封建時代の武家の奥方」といった、ただかしずいているばかりと思われがちなその時代の女性たちとは全く違っている。こういう人ばかりではなかっただろうが、この新書で紹介する内容を読むと会って取材したくなるような、ステキな人物に思えた。

天保の改革をすすめる、水野忠邦などを冷徹な目で見ていて、倹約しろと人には言うけれど、自分自身は「賄賂の山、贈り物の山」を築いてはばかることなく暮らしているではないか、と書く。けっこう「舌鋒鋭く」書いているので、女性評論家といった趣満点。

また、もう「地球は丸い」という知識は入ってきていて、そのことは本で読んでいるのだが、こういうことはきちんと実証してもらわないまま信じるわけにはいかないと書き、上空遙かに浮かんでこの地上を見下ろすということでもして「この目で見ない限り」信じられない、と書いている。地球が丸いなんてはずはない、というのではなく、西欧の「科学」のありようを理解してはいるが、自分は鵜呑みにできないと、明言している。「地球は丸い」が当時の日本では常識ではないと思うけれど、そういう情報に対して自分が信ずるに足りる実証がないとにわかに受け入れるわけにはいかないというのが、冷静で素晴らしい。

天保12年閏1月7日、十一代将軍家斉が死んだと井関隆子は聞かされる。
しかし、徳川家の公式記録ではその月の末日に逝去したことになっている。歴史書では月末の死といういことで歴史になっているが、どうも事実はこの日記の中に書かれている日が正しいらしい。息子と孫が江戸城の奥深いところに勤めているということでこうしたことが彼女には伝わり、日記に書き残されているというわけだ。
家斉の死のあとに、いよいよ水野が権勢を振るい天保の改革を始めるが、この改革の最中の旗本の生活の様子、水野が罷免されたあと「いい気味だ」という気分あふれる文章、さらに、江戸の庶民が罷免と決まった水野の屋敷を囲んで石を投げつけて大騒ぎになったという街の様子など、大きく時代が動いた時期の、その中心に近いところで見聞した「事実」がとても面白く、歴史は「こういう風に面白いぞ」というのに格好な例とも言える。

この本は、日記の面白いところを紹介しているが、日記その物が全三冊としてまとめて出版されているので、この本を読んで全部読みたくなったらそちらをどうぞ。 ああ、こういう女性が江戸時代にいたのだ、いてくれたのだと感心し、感動してしまった。

しかし(ブックレビューでこういうことは書かないものかもしれないけれど)、「旗本夫人」だの「エスプリ日記」だの、江戸に関した本を興味深く読んできた人間には「がっくり来る」「絶望的に」ダサイ書名、副題をつけなくてもいいでしょう。
編集者のセンス、というのはこのあたりなのか。 書店で本を手に取り、中を見たから買ったけれど、書名だけしか知らなかったら私はこの本は買わなかった。持っているのが恥ずかしい書名です。
それは、言っておきたい。
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●拙著の書評・紹介・感想などなど、数え切れないほど、新聞・雑誌・ネット上に出された。好意的なものもあり、厳しいものもあり、揚げ足取りもあり、言いたい放題だと思うものもあった。
●この、小玉節郎氏の書評は、恐縮するほど、好意的に読んで下さり、紹介してくださった。有り難いことと感謝している。

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