江戸ノベルズ 10

●昨日の朝日新聞に、EDO NOVELS〔10〕の広告が出ていた。相変わらず江戸ブームは続いているようだ。今年のNHKの大河ドラマ平清盛であるが、どうもパッとしない。織田信長徳川家康豊臣秀吉武田信玄石田三成徳川家斉忠臣蔵篤姫・・。2代秀忠の「江」はダメだったが、平安・中世よりも、やはり江戸か。江戸ノベルズ〔10〕では、江戸の湯屋・小説と切絵図を特集している。私は、江戸切絵図を見ると、ワクワクする。

天保12年(1841)2月20日、第11代将軍・徳川家斉の葬儀が行われた。御台所の願いによって、墓所は芝増上寺から上野寛永寺に変更された。昨日は寒風が恐ろしいほど吹いていたが、今日は風はおさまった。しかし、気色は晴れ晴れしくなく、心なしか、哀れげである。昨日今日の江戸市中は、人の気配も無く、家々の煙も立たない。午後には、大御所様の御葬儀があるという。
●側近くお仕えした男は、薙髪といってもとどりをきり、女房たちは尼になる者も多い。江戸城内は、吹上から矢来御門まで、2千m程の間は、畳を敷き詰め、雨覆いをし、人々は白妙に身を包み、御柩の御車を引き奉る。矢来御門で御輿にお移しして、読経を捧げ、竹橋、一ツ橋、筋違などの御門などを通って上野の御山内まで、お送りする。町なかは言うまでもなく、御山の内まで、それぞれの人々が警護し奉る。道々には提灯が絶間なく連なり、その間あいだには、ひさげに水を満たして、火災に備えて、物々しい様である。御輿を担ぐ人々は白い浄衣を着て、千人余りであるという。・・・

●井関隆子は、徳川家斉の葬儀の様子を、事細かに記し留めている。このような記録に、現在の作家が出合うと、その一齣から、想を回らし、輿を担ぐ旗本、尼になって菩提を弔う女房の半生を描きたくなるだろう。そこに、歴史小説が生れる。

■江戸の城門と見附を書き込んだ切絵図 朝日新聞の広告


■九段坂下には、井関縫殿守の屋敷があり、その向かいには、新見伊賀守正路の広い屋敷があった。