江戸切絵図

●今日の朝日新聞の「古地図を歩く③」では、江戸切絵図を採り上げている。江戸博の近松鴻二氏の解説を中心に紹介していて、大変参考になる。私は江戸の古地図には、早くから関心を持っていて、遠近道印の寛文5枚図について書いた事もある。これは、横山重先生の御指導のもとでまとめたのであるが、近行遠通などという大変な人物に出合った。江戸の地図を文学研究の参考に利用したのであるが、これは、私が早い方だと思う。

●それはそれとして、今日の近松氏の解説で、教えられる点が少なくない。江戸切絵図は、実用性を供えていて、大変利用価値がある。大名屋敷や旗本の名前が入っているので、これが参考になる。旗本も身分や役職によって屋敷を拝領するが、悪い事をしたり、ミスをすると、屋敷を替えられたりする。この仕組みを利用すれば、人物の伝記研究にも役立つ。

嘉永2年(1849)再版の近吾堂版の「駿河台小川町図」には、九段坂下に「井関縫殿正」とある。井関隆子の嫁ぎ先の井関家の屋敷である。私は、この屋敷を切絵図上に発見した時は、大変嬉しかった。2000頁に及ぶ彼女の日記を何度も何度も読んで、約350坪ほどの井関家の屋敷の想像図を作ってみた。しかし、今回の近松氏の解説で、大きなミスに気付いた。切絵図においては「名前の向きが正門の位置を示しています。」というもの。この点は、どこかで読んだ記憶はあったが、ついつい、確認もせずに想像図を作ってしまった。訂正しなければならない。

●江戸時代の大名や旗本などの家・屋敷の研究では、昭和女子大学の学長だった、平井聖先生が、第一人者である。平井先生が学長時代、私も現職だったので、先生に質問する機会はあったが、これも、ついつい実行せずに、井関家の想像図を作ってしまった。研究者としては、ツメの甘さが反省される。

朝日新聞の「古地図を歩く③」

■近吾堂版の「駿河台小川町図」

尾張屋版、嘉永3年刊 「千駄ヶ谷 鮫ケ橋 四ツ谷絵図」包装の袋

■庄田家の屋敷 庄田金之助  約660坪の広さ
左上に赤色で「長安寺」がある。
隆子は庄田金之助の屋敷で生まれ、子供の頃、長安寺の好色僧の実体を見破った。